誰に言う訳でもないけど伝えたいこと
2004年1月27日え・・・・と・・・
客演させていただいた
劇団 らくだのくるぶし 第15回公演
『砂漠の葬列』
は無事に終了しました。
見に来ていただいた方、こんな私にもう一度舞台に上がるチャンスをくれた方、舞台の上で支えてくれた方、舞台から降りるまで支えてくれた方、
皆様、本当に有難う御座いました。
今日は開店から閉店まで仕事してたんです。
職場に人がいなくて店の方が運営できないってのに3日も休みを取ってしまって・・・出来る限り他の人に休んでもらわないと・・・
んで、まあ、そんな「侍従長さんたらいい人ぶって・・・」なんてきついツッコミを入れてもらおうって魂胆はないんですけど、
休憩中に食事を摂って時間つぶしに近くのCDやらゲームやら売ってる店に行ったんです。
特別に何を買おうって訳じゃなかったんですけど、中古でクィーンのCDがあったんで購入しましてん。
1曲目にボヘミアンラプソディーが入ってて、何か無性に聞きたくなったんですよ。
確か、97年の夏の舞台でオープニングに使った曲で、5人がイスに腰掛けて掛け合いをするシーンで最後に全員が
僕は死にたくないよ。
時々考えてしまうよ。
いっそのこと生まれてこなければ良かった。
って台詞を言って場面が変わるんだけど、
終了後のアンケートに
「いっそのこと生まれてこなければ良かった。
・・・そんな言葉は親として子供に絶対に言わせたくない言葉でショックでした。」
か、そんな感じだったんですよ。
全然批判的なアンケートじゃなかったんですけど、
何だかずっと『親として子供に・・・』って言葉が引っかかってて・・・何だかその方にとって凄い(悪い意味での)ショックを与えてしまったのでは・とか考え出して・・・
その頃は自分に子供がいなかったからその感覚で理解してモノをしゃべるのは子を持つ方全員に失礼だと思って何も言わなかったんだけど・・・
それから一年経って子供が出来て、2年後に二人目が出来て、確かに子供がどんな言葉でも言い表せないほどの存在になった時、いつも楽しいこと考えて生きることが出来たらいいんだろうけど、落ち込んだり、沈んでたりした時にふと悪いことを考えてしまったりする。
夢見が悪くて、子供が大怪我して意識がないのを見て助けようとしても中々上手く行かない。
飛び起きて隣を見たら子供が寝てる。
寝てるよね。大丈夫だよね。何ともないよね。
って子供に触れたら、
嫌がって手で払われたりする。
ああ、良かった。大丈夫だったんだ。ゴメンね。こんな夢見て。って思った瞬間に泣いたりだとか・・・
泣いてるのを見て嫁さんが驚いて「どうしたん?」
とか聞いてくるんだけど、もう言葉なんか出てこないくらい泣いてるし。
昔から涙腺が弱いもんでよく泣いてたりするんだけど、今回の舞台でもやっぱり我慢できないところがあったわけですよ。
初日の舞台で本番が終わる15分ほど前くらいで共演者の方の「有難う。」って台詞が凄く優しい口調だったんで(いや、ホントにそれだけの理由なんですけど・・・)グッっと来る訳ですよ。
・・・もうちょっとで初日終わっちゃうな・・・って思ったら、そこで『舞台に自分がいるんだ。また上がれたんだ』って実際もうダメって思ってたから。諦めないといけなかったし、声が掛かることなんて予想もしてなかったし・・・うわぁぁ走馬灯や・・・
二日目はもう何が何だか・・・え・・と・・・主演の方が私の演じてた人のなんていうか・・・真実を告げるんですね。
「何も悪くない!!」
って・・・もうその台詞がダメなんですよ。
その役は本当なんですね。何も悪くないんです。
方法は違ったのかもしれないけど、そのことでそれ以上の悲劇を生んでしまって仲間に恨まれたまま死なれて自分も死んじゃって・・・真実を知ってる人(人じゃないけど・・・)が何百年か経って初めて「本当はそうじゃないんだよ。」ってそれを伝えるために人間に生まれ変わったけど、不幸な生まれ変わりだったて言う・・・
ふと、素に戻るんですよ。自分の演じている人は全然悪くない。
でもね、もしそれが自分のことで
「侍従長さんは悪くない!!」って言われたらね、
「ごめんなさい。私はそんなことを言ってもらえる人間じゃありません。」
ってきっと言います。
だって僕は友人を見殺しにしたのだから。
助けてって言ってたのに自分のことで精一杯で、
その友人を亡くしてしまうまで解らなかった。
最後はかかってきた電話にさえ出なかった。
話をしてどうなるか解んないけど、それさえ自分の意思で拒否した。
3日経ったらもう会えなくなってしまった。
そんなことになるとは思ってなかったから。
でも実際にそうなった。
思い出してみれば逃げ場すら無くす話をしていた。
逃げるな。って。
そんなことになるんならって後悔が未だに消えない。
いくら謝っても、どう償ってもきっと許されないことだし。
葬式の時だってまるで親友面をして泣いていた。
見殺しにしたのにね。
何で自分が残ってるんだろう。
何で自分がそんな目に遭わないんだろう。
何で今更友達面が出来るんだろう。
ごめんね。いまだに生き残ってごめんね。
まだそんな辛い目に遭わずに笑ってられる自分でごめんね。
今回のアンケートでお褒めの言葉を頂戴しました。
有難う御座います。感謝します。
でも自分は誉められる人間ではありませんので、
それだけ誉められる人間を作った作者の方と、舞台の上で生かしてくれた演出の方と共演者の方に・・・
・・・言葉がでてこねえ・・・
今年はオープンにって言ったけど・・・辛いねえ・・・でもね、吐き出さないと耐えられないからね。
有難う御座いました。
客演させていただいた
劇団 らくだのくるぶし 第15回公演
『砂漠の葬列』
は無事に終了しました。
見に来ていただいた方、こんな私にもう一度舞台に上がるチャンスをくれた方、舞台の上で支えてくれた方、舞台から降りるまで支えてくれた方、
皆様、本当に有難う御座いました。
今日は開店から閉店まで仕事してたんです。
職場に人がいなくて店の方が運営できないってのに3日も休みを取ってしまって・・・出来る限り他の人に休んでもらわないと・・・
んで、まあ、そんな「侍従長さんたらいい人ぶって・・・」なんてきついツッコミを入れてもらおうって魂胆はないんですけど、
休憩中に食事を摂って時間つぶしに近くのCDやらゲームやら売ってる店に行ったんです。
特別に何を買おうって訳じゃなかったんですけど、中古でクィーンのCDがあったんで購入しましてん。
1曲目にボヘミアンラプソディーが入ってて、何か無性に聞きたくなったんですよ。
確か、97年の夏の舞台でオープニングに使った曲で、5人がイスに腰掛けて掛け合いをするシーンで最後に全員が
僕は死にたくないよ。
時々考えてしまうよ。
いっそのこと生まれてこなければ良かった。
って台詞を言って場面が変わるんだけど、
終了後のアンケートに
「いっそのこと生まれてこなければ良かった。
・・・そんな言葉は親として子供に絶対に言わせたくない言葉でショックでした。」
か、そんな感じだったんですよ。
全然批判的なアンケートじゃなかったんですけど、
何だかずっと『親として子供に・・・』って言葉が引っかかってて・・・何だかその方にとって凄い(悪い意味での)ショックを与えてしまったのでは・とか考え出して・・・
その頃は自分に子供がいなかったからその感覚で理解してモノをしゃべるのは子を持つ方全員に失礼だと思って何も言わなかったんだけど・・・
それから一年経って子供が出来て、2年後に二人目が出来て、確かに子供がどんな言葉でも言い表せないほどの存在になった時、いつも楽しいこと考えて生きることが出来たらいいんだろうけど、落ち込んだり、沈んでたりした時にふと悪いことを考えてしまったりする。
夢見が悪くて、子供が大怪我して意識がないのを見て助けようとしても中々上手く行かない。
飛び起きて隣を見たら子供が寝てる。
寝てるよね。大丈夫だよね。何ともないよね。
って子供に触れたら、
嫌がって手で払われたりする。
ああ、良かった。大丈夫だったんだ。ゴメンね。こんな夢見て。って思った瞬間に泣いたりだとか・・・
泣いてるのを見て嫁さんが驚いて「どうしたん?」
とか聞いてくるんだけど、もう言葉なんか出てこないくらい泣いてるし。
昔から涙腺が弱いもんでよく泣いてたりするんだけど、今回の舞台でもやっぱり我慢できないところがあったわけですよ。
初日の舞台で本番が終わる15分ほど前くらいで共演者の方の「有難う。」って台詞が凄く優しい口調だったんで(いや、ホントにそれだけの理由なんですけど・・・)グッっと来る訳ですよ。
・・・もうちょっとで初日終わっちゃうな・・・って思ったら、そこで『舞台に自分がいるんだ。また上がれたんだ』って実際もうダメって思ってたから。諦めないといけなかったし、声が掛かることなんて予想もしてなかったし・・・うわぁぁ走馬灯や・・・
二日目はもう何が何だか・・・え・・と・・・主演の方が私の演じてた人のなんていうか・・・真実を告げるんですね。
「何も悪くない!!」
って・・・もうその台詞がダメなんですよ。
その役は本当なんですね。何も悪くないんです。
方法は違ったのかもしれないけど、そのことでそれ以上の悲劇を生んでしまって仲間に恨まれたまま死なれて自分も死んじゃって・・・真実を知ってる人(人じゃないけど・・・)が何百年か経って初めて「本当はそうじゃないんだよ。」ってそれを伝えるために人間に生まれ変わったけど、不幸な生まれ変わりだったて言う・・・
ふと、素に戻るんですよ。自分の演じている人は全然悪くない。
でもね、もしそれが自分のことで
「侍従長さんは悪くない!!」って言われたらね、
「ごめんなさい。私はそんなことを言ってもらえる人間じゃありません。」
ってきっと言います。
だって僕は友人を見殺しにしたのだから。
助けてって言ってたのに自分のことで精一杯で、
その友人を亡くしてしまうまで解らなかった。
最後はかかってきた電話にさえ出なかった。
話をしてどうなるか解んないけど、それさえ自分の意思で拒否した。
3日経ったらもう会えなくなってしまった。
そんなことになるとは思ってなかったから。
でも実際にそうなった。
思い出してみれば逃げ場すら無くす話をしていた。
逃げるな。って。
そんなことになるんならって後悔が未だに消えない。
いくら謝っても、どう償ってもきっと許されないことだし。
葬式の時だってまるで親友面をして泣いていた。
見殺しにしたのにね。
何で自分が残ってるんだろう。
何で自分がそんな目に遭わないんだろう。
何で今更友達面が出来るんだろう。
ごめんね。いまだに生き残ってごめんね。
まだそんな辛い目に遭わずに笑ってられる自分でごめんね。
今回のアンケートでお褒めの言葉を頂戴しました。
有難う御座います。感謝します。
でも自分は誉められる人間ではありませんので、
それだけ誉められる人間を作った作者の方と、舞台の上で生かしてくれた演出の方と共演者の方に・・・
・・・言葉がでてこねえ・・・
今年はオープンにって言ったけど・・・辛いねえ・・・でもね、吐き出さないと耐えられないからね。
有難う御座いました。
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