(個人名を出すと注目されるので割愛)の遺伝子
2005年3月30日2年前の2月、舞台本番前日に父親が仕事中の事故で集中治療室に運ばれたことを聞いた。
怪我をした。最悪片腕を切断。連絡してくれ。というメールが控え室にマナーモード設定された私の携帯電話に入っていた。兄弟に人でなし扱いされながら稽古が終了すると同時に病院へ、主治医からの説明。
海上自衛隊の軍艦を出港するさいに持ち場で待機していた父に太さ100mm程度のワイヤーが当たる。レントゲン写真を見ると肩甲骨がわき腹の辺りに落ちていてワイヤーによって外れた肩が150mmほど外にあり自然治癒力が働きアメフトのショルダーバッグほどに肩が腫れている。当然動脈は切れたが肩が吹っ飛んでいない為内出血で左腕が真紫色になっていた。
幻覚があるのか恐怖心からの逃避なのか意識があるときは壁に向かって言葉を発していたらしい。
事故の様子
午前7時過ぎ事故発生。
出港を取りやめドッグに戻り病院に搬送するがお手上げの為、大学病院へ救急ヘリを使って搬送。到着時刻は午後12時前。
動脈破裂による大量出血により生命も危ぶまれたが奇跡的に出血が止まり集中治療室へ。
母親に連絡が入る。会社の車で状況説明を聞きながら病院へ。
元々心臓の弱い母に集中治療室で体中にあらゆる管を繋がれ、朝に自宅を出て行く姿とは程遠い姿を見せるのは如何なものか。
母親は動転し、長男の私に連絡ができずに次女の家に電話。
私の耳に届いたのは事故から12時間後のこと。
ワイヤーのぶつかった左腕は切断の可能性が99・9%。心臓の近くで切れた動脈が何かの拍子で再出血し出血多量で死亡することも十分ありうるとのこと。
0・1%の確立で左腕を切断しなくても左腕は付いているだけで動くことはありません。と言われた。
切断するか否かは3日後がリミットでそれ以上遅らせると左腕の腐敗が進み、合併症を併発し、弱った体に耐え切れないだろうとの予測。
広島から姉が病院へ、妹も病院へ、どのようにして起こった事故かも知れない為、次の日に私が父の会社に聞いてみることに。
このたびは取り返しのつかないことを。と繰り返しに言う上司。
但し、できる限りの償いは会社のほうで、という台詞は予定調和という気がした。
何しろ事故の瞬間を誰も見ていないと言うのだから。
しかも「危ない!」と声をかけたにも関わらず。
作業中に父への注意はしました。でも事故の現場は見ていない。
器用な方たちだ。
ドーンと大きな音がして確認したら父が倒れていたそうだ。
生きていくのも大変だなとつくづく思う話しだ。
父は未だにこの瞬間はおろかその日の記憶すら消えたままだ。
散々上司から謝罪と保身の話しを聞いて父の事故当時の持ち物を持ち帰った。画面が割れて血のついた携帯電話は電源が入らなくなっていた。作業服は当然左腕の部分がなくなっていた。ロッカーの中の私服と駐車場に止めていた父の車を持ち帰った。
そして舞台へ。
事故が起ころうが死のうが幕は開く。
何と言われようが平常心で舞台に上がろうとした。
家族は母以外は反対した。自分の父親が一大事なときに舞台に向かおうとする姿はそりゃ異常な世界に見えるだろう。
「異常でなにが悪い。集中治療室の外にあるソファーにいようと舞台に上がろうと自分に何が出来る。」
その日覚えているのはゲネで涙が止まらなくなったのと最初の掃ける場面で一舞台を終えた疲労感が残っただけ。
本番1時間前に姉から電話で
「左腕の腐敗の進行が思いの他早いため切断します。手術中に動脈が破裂する恐れもあるので覚悟はしておいてください。」
という医師の話しにより長男が病院に戻り、手術の経過を見ろという配慮であった。
「死んだら諦めろ。こっちは舞台の30分前だ。」と言って電話を一方的に切った。
詳しくは聞いていないが手術の開始と開演時間が同時刻だったはず。
舞台終了後に病院に直行。今後の家庭の事情を考えると舞台は続けられる状態ではなくなっていった。 適当に続く
怪我をした。最悪片腕を切断。連絡してくれ。というメールが控え室にマナーモード設定された私の携帯電話に入っていた。兄弟に人でなし扱いされながら稽古が終了すると同時に病院へ、主治医からの説明。
海上自衛隊の軍艦を出港するさいに持ち場で待機していた父に太さ100mm程度のワイヤーが当たる。レントゲン写真を見ると肩甲骨がわき腹の辺りに落ちていてワイヤーによって外れた肩が150mmほど外にあり自然治癒力が働きアメフトのショルダーバッグほどに肩が腫れている。当然動脈は切れたが肩が吹っ飛んでいない為内出血で左腕が真紫色になっていた。
幻覚があるのか恐怖心からの逃避なのか意識があるときは壁に向かって言葉を発していたらしい。
事故の様子
午前7時過ぎ事故発生。
出港を取りやめドッグに戻り病院に搬送するがお手上げの為、大学病院へ救急ヘリを使って搬送。到着時刻は午後12時前。
動脈破裂による大量出血により生命も危ぶまれたが奇跡的に出血が止まり集中治療室へ。
母親に連絡が入る。会社の車で状況説明を聞きながら病院へ。
元々心臓の弱い母に集中治療室で体中にあらゆる管を繋がれ、朝に自宅を出て行く姿とは程遠い姿を見せるのは如何なものか。
母親は動転し、長男の私に連絡ができずに次女の家に電話。
私の耳に届いたのは事故から12時間後のこと。
ワイヤーのぶつかった左腕は切断の可能性が99・9%。心臓の近くで切れた動脈が何かの拍子で再出血し出血多量で死亡することも十分ありうるとのこと。
0・1%の確立で左腕を切断しなくても左腕は付いているだけで動くことはありません。と言われた。
切断するか否かは3日後がリミットでそれ以上遅らせると左腕の腐敗が進み、合併症を併発し、弱った体に耐え切れないだろうとの予測。
広島から姉が病院へ、妹も病院へ、どのようにして起こった事故かも知れない為、次の日に私が父の会社に聞いてみることに。
このたびは取り返しのつかないことを。と繰り返しに言う上司。
但し、できる限りの償いは会社のほうで、という台詞は予定調和という気がした。
何しろ事故の瞬間を誰も見ていないと言うのだから。
しかも「危ない!」と声をかけたにも関わらず。
作業中に父への注意はしました。でも事故の現場は見ていない。
器用な方たちだ。
ドーンと大きな音がして確認したら父が倒れていたそうだ。
生きていくのも大変だなとつくづく思う話しだ。
父は未だにこの瞬間はおろかその日の記憶すら消えたままだ。
散々上司から謝罪と保身の話しを聞いて父の事故当時の持ち物を持ち帰った。画面が割れて血のついた携帯電話は電源が入らなくなっていた。作業服は当然左腕の部分がなくなっていた。ロッカーの中の私服と駐車場に止めていた父の車を持ち帰った。
そして舞台へ。
事故が起ころうが死のうが幕は開く。
何と言われようが平常心で舞台に上がろうとした。
家族は母以外は反対した。自分の父親が一大事なときに舞台に向かおうとする姿はそりゃ異常な世界に見えるだろう。
「異常でなにが悪い。集中治療室の外にあるソファーにいようと舞台に上がろうと自分に何が出来る。」
その日覚えているのはゲネで涙が止まらなくなったのと最初の掃ける場面で一舞台を終えた疲労感が残っただけ。
本番1時間前に姉から電話で
「左腕の腐敗の進行が思いの他早いため切断します。手術中に動脈が破裂する恐れもあるので覚悟はしておいてください。」
という医師の話しにより長男が病院に戻り、手術の経過を見ろという配慮であった。
「死んだら諦めろ。こっちは舞台の30分前だ。」と言って電話を一方的に切った。
詳しくは聞いていないが手術の開始と開演時間が同時刻だったはず。
舞台終了後に病院に直行。今後の家庭の事情を考えると舞台は続けられる状態ではなくなっていった。 適当に続く
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