私がHNを侍従長としたのは4年前でした。
4年前の今日は「最後にするつもりは無いけど最後になるかもしれない舞台」と思い舞台を駆け回ってのた打ち回っていました。
それからの舞台は「これが最後かも」という気持ちを常に持って板の上に上がるようになりました。
釈然としなかったり良くなる舞台を直さずに放置したりあっちとこっちでいうことが違う舞台だと「これが最後の舞台でもあなたはそうするのか」とその都度ぶつかったりやるせないまま舞台を終えたりしていました。
実際「この公演を最後に舞台から降ります。」って言える人(特にアマチュアの方)は少ないと思いますし、さまざまな理由で板に立てなくなることってあると思うんです。
彼のことはブログで出す気は無いのですが最後となった舞台の後で話をする機会がありました。
私の話す毒を交えた言葉の羅列とは比べられないくらい崇高で一途な舞台に対する気持ちを聞きました。
その場面を思い出すたびに今でも落ち込んだり悔やんだりしてグジグジしている自分が嫌になります。
5年前に声をかけられて舞台にもう一度上がりだしたのはその公演日が友人の命日だったから。
一人でいて気持ちが潰されぬように。
舞台の本番だったら気持ちを沈ませておくことなんて出来ないですからね。
あの時舞台が終わって嫁と一緒に見に来て「とーちゃんと一緒に家に帰る。」と泣き叫んでいた娘も来年で小学校3年生。
「MooN」を見に行くことになって発した言葉が
「つまらんかったら寝るからね。」とは中々シビアに成長しています。
珍獣は稽古で見たフェンリルの手が怖かったらしく
「デカイ手が出るなら怖いから行きたくない。」と
5年前の河童を見て怖がってたデブ助は未だにチキンです。
その時に知り合ったのが転機さんの面々で旗揚げ公演でアポなしスタッフを買って出てその公演を見て初めて自分からこの舞台に上げてくさいとお願いしました。
その後自分から出させてくれといったのは真夜中の兎団なんだけどね・・・
んで4年前の今日は自宅と病院と芸文館を行ったりきたり。
そんな暇も時間も無いのによく動けたもんだ。
公演が終わって家で「てんきよほん」を完読。
書いてるからもういいやと。
アホ親父は未だに人様に頂いた情と恩を分かるわけでもなく生きてます。
喧嘩になるとすぐ死ぬといいだします。
何で息子が中学を卒業してすぐに家を出たか、話せば喧嘩になるのか、そんな息子が自分が死にそうなときに
「集中治療室の前で陰気な顔をして祈っても死ぬときゃ死ぬ。舞台に出させろ。」と言い合ってたのを知りません。
「何でお前は舞台なんか出るんか分からん。何か人様に伝えたいことがあるんか?」
と言う問いに「出ろといわれたから出るだけ。これが草野球だったらユニフォーム買って道具買ってグラウンド借りるのとなんら変わらんこと。愚問やで。」と答えても全く理解しない人でしたから・・・
どっちにしろ4年前に自分が3日間で出し尽くそうとしたモリスは長い間『オアズケ』されてしまうのです。
代役を芭蕉院弥勒さんがしてくださったと聞いたときに自分以外にモリスを演じられたと思い悔しいのと弥勒さんがいきなり役者をしてくださってどれだけ舞台に造詣が深く窮地でもやり遂げてくださると思いほっとしたのと本当に申し訳ないことをしてしまったと悔やんだり。
自分は転機さんの団員でもないし、何だろう。償いの仕方が分からないというか何やっても償いきれないなというのはあります。
それから舞台に性懲りも無く戻ってきてからは何かずっとこれからの人の為とか頑張ってるけど報われない方とかの役に立ちたいなと。
もちろんそうでない方には違う方向へ向かわせますけど。
う〜〜ん・・・今回の舞台はどうなんでしょう・・・
自分がやりたかったこと・・・
誰からも言われてないですから多分独りよがりだったんでしょうね・・・
もちろん悪い意味でなく。
* * *
「こち亀」の日暮さんの如くモリスが4年ぶりに目覚めると周りには愛妻(だったはず)のヴォーグも孫以上の歳の差がある子供もいなくなっていました。
ヴェヴェル陛下はあの頃よりぐ〜〜〜んと大人っぽくなっていました。陛下からルーンお嬢様になっていました。また手のひらの上で踊らされる楽しい生活です。
積年のライバルでエデンから追放したはずのジョーカーは何故かお嬢様のお父様で私が仕える身となっておりました。
* * *
4年の間に変わったなぁ・・・「Moon]のoo上側に3つの輪が下のoと隣同士とも繋がっています。
4年に一度の「モリンピック」だったのですね。
4年前と変わらぬアグレッシブさを出されてもこっちは4つ歳とってるんだからそんなに動けないよぅ。
* * *
最終稽古の最後の転機ダンスで腰に電気が走って次の日には起き上がれなくなって慌てて整形外科に行ったのもきっと他の出演者が市販の湿布や鎮痛剤では効かない痛みを患うことが分かって貰ってきたのでしょう。
腰をかばって他の筋肉がガチガチになりましたがマッサージ器で涙が出るのを我慢しながら3日連続で使ったらある程度ほぐれましたし、本番前に杖を持っていったのも実は保険だったりして・・・
滑舌あかんかったんなぁ・・・特に土曜日の夜!
モリスの一番聞かせる台詞で口に入れてたのど飴がテンションを上げた途端に奥歯でバリン!ボリン!て・・・何言ったんか分からへん。
皆さんもあのミスでテンションを下げんかったかと心配しましたがそんなことも無く一安心。
* * *
今回に限っては重鎮のいぬまに若手に説教。
あとでチクッっても可です。
貴方達は看板背負ってんだからね。
怒ってはないしただの老婆心ちゅうことで許して。
(特にこだまっこちゃん。何で一言物申すときに目の前にいるかなぁ・・・)
* * *
私はあくまで役者ではなくただのビデオ屋の親父ですから迷惑をかけることが多いんですよ。
反省点多し。自分をこの程度と諦めるかまだ年寄りの冷や水に挑戦するか。
例えば・・・今回の舞台でモリスがいなかったらヒャクイチかパンナコッタをやってみたかったなぁ・・・
* * *
属性の話(根深〜)あの人がモリスやったらめちゃくちゃだったと思うがどうかね?
* * *
本日は「MooN」の対しての感想(?)ばかりでした。
ご観劇してくださった皆様、有難う御座いました。
次はお礼書くからね。
と予告せねば福山話で終わりそうだし、一人一人にお礼を言ってたら膨大な作業になって途中でやめそうなので逃げられないように宣言。本当に感謝してますから。
福山の話書きたきゃお礼を書いてからにしな。それが人道ってもんだ。
・・・と思います。
日が変わったから上の文章は丁度○○年と一日に訂正して読んでな。
4年前の今日は「最後にするつもりは無いけど最後になるかもしれない舞台」と思い舞台を駆け回ってのた打ち回っていました。
それからの舞台は「これが最後かも」という気持ちを常に持って板の上に上がるようになりました。
釈然としなかったり良くなる舞台を直さずに放置したりあっちとこっちでいうことが違う舞台だと「これが最後の舞台でもあなたはそうするのか」とその都度ぶつかったりやるせないまま舞台を終えたりしていました。
実際「この公演を最後に舞台から降ります。」って言える人(特にアマチュアの方)は少ないと思いますし、さまざまな理由で板に立てなくなることってあると思うんです。
彼のことはブログで出す気は無いのですが最後となった舞台の後で話をする機会がありました。
私の話す毒を交えた言葉の羅列とは比べられないくらい崇高で一途な舞台に対する気持ちを聞きました。
その場面を思い出すたびに今でも落ち込んだり悔やんだりしてグジグジしている自分が嫌になります。
5年前に声をかけられて舞台にもう一度上がりだしたのはその公演日が友人の命日だったから。
一人でいて気持ちが潰されぬように。
舞台の本番だったら気持ちを沈ませておくことなんて出来ないですからね。
あの時舞台が終わって嫁と一緒に見に来て「とーちゃんと一緒に家に帰る。」と泣き叫んでいた娘も来年で小学校3年生。
「MooN」を見に行くことになって発した言葉が
「つまらんかったら寝るからね。」とは中々シビアに成長しています。
珍獣は稽古で見たフェンリルの手が怖かったらしく
「デカイ手が出るなら怖いから行きたくない。」と
5年前の河童を見て怖がってたデブ助は未だにチキンです。
その時に知り合ったのが転機さんの面々で旗揚げ公演でアポなしスタッフを買って出てその公演を見て初めて自分からこの舞台に上げてくさいとお願いしました。
その後自分から出させてくれといったのは真夜中の兎団なんだけどね・・・
んで4年前の今日は自宅と病院と芸文館を行ったりきたり。
そんな暇も時間も無いのによく動けたもんだ。
公演が終わって家で「てんきよほん」を完読。
書いてるからもういいやと。
アホ親父は未だに人様に頂いた情と恩を分かるわけでもなく生きてます。
喧嘩になるとすぐ死ぬといいだします。
何で息子が中学を卒業してすぐに家を出たか、話せば喧嘩になるのか、そんな息子が自分が死にそうなときに
「集中治療室の前で陰気な顔をして祈っても死ぬときゃ死ぬ。舞台に出させろ。」と言い合ってたのを知りません。
「何でお前は舞台なんか出るんか分からん。何か人様に伝えたいことがあるんか?」
と言う問いに「出ろといわれたから出るだけ。これが草野球だったらユニフォーム買って道具買ってグラウンド借りるのとなんら変わらんこと。愚問やで。」と答えても全く理解しない人でしたから・・・
どっちにしろ4年前に自分が3日間で出し尽くそうとしたモリスは長い間『オアズケ』されてしまうのです。
代役を芭蕉院弥勒さんがしてくださったと聞いたときに自分以外にモリスを演じられたと思い悔しいのと弥勒さんがいきなり役者をしてくださってどれだけ舞台に造詣が深く窮地でもやり遂げてくださると思いほっとしたのと本当に申し訳ないことをしてしまったと悔やんだり。
自分は転機さんの団員でもないし、何だろう。償いの仕方が分からないというか何やっても償いきれないなというのはあります。
それから舞台に性懲りも無く戻ってきてからは何かずっとこれからの人の為とか頑張ってるけど報われない方とかの役に立ちたいなと。
もちろんそうでない方には違う方向へ向かわせますけど。
う〜〜ん・・・今回の舞台はどうなんでしょう・・・
自分がやりたかったこと・・・
誰からも言われてないですから多分独りよがりだったんでしょうね・・・
もちろん悪い意味でなく。
* * *
「こち亀」の日暮さんの如くモリスが4年ぶりに目覚めると周りには愛妻(だったはず)のヴォーグも孫以上の歳の差がある子供もいなくなっていました。
ヴェヴェル陛下はあの頃よりぐ〜〜〜んと大人っぽくなっていました。陛下からルーンお嬢様になっていました。また手のひらの上で踊らされる楽しい生活です。
積年のライバルでエデンから追放したはずのジョーカーは何故かお嬢様のお父様で私が仕える身となっておりました。
* * *
4年の間に変わったなぁ・・・「Moon]のoo上側に3つの輪が下のoと隣同士とも繋がっています。
4年に一度の「モリンピック」だったのですね。
4年前と変わらぬアグレッシブさを出されてもこっちは4つ歳とってるんだからそんなに動けないよぅ。
* * *
最終稽古の最後の転機ダンスで腰に電気が走って次の日には起き上がれなくなって慌てて整形外科に行ったのもきっと他の出演者が市販の湿布や鎮痛剤では効かない痛みを患うことが分かって貰ってきたのでしょう。
腰をかばって他の筋肉がガチガチになりましたがマッサージ器で涙が出るのを我慢しながら3日連続で使ったらある程度ほぐれましたし、本番前に杖を持っていったのも実は保険だったりして・・・
滑舌あかんかったんなぁ・・・特に土曜日の夜!
モリスの一番聞かせる台詞で口に入れてたのど飴がテンションを上げた途端に奥歯でバリン!ボリン!て・・・何言ったんか分からへん。
皆さんもあのミスでテンションを下げんかったかと心配しましたがそんなことも無く一安心。
* * *
今回に限っては重鎮のいぬまに若手に説教。
あとでチクッっても可です。
貴方達は看板背負ってんだからね。
怒ってはないしただの老婆心ちゅうことで許して。
(特にこだまっこちゃん。何で一言物申すときに目の前にいるかなぁ・・・)
* * *
私はあくまで役者ではなくただのビデオ屋の親父ですから迷惑をかけることが多いんですよ。
反省点多し。自分をこの程度と諦めるかまだ年寄りの冷や水に挑戦するか。
例えば・・・今回の舞台でモリスがいなかったらヒャクイチかパンナコッタをやってみたかったなぁ・・・
* * *
属性の話(根深〜)あの人がモリスやったらめちゃくちゃだったと思うがどうかね?
* * *
本日は「MooN」の対しての感想(?)ばかりでした。
ご観劇してくださった皆様、有難う御座いました。
次はお礼書くからね。
と予告せねば福山話で終わりそうだし、一人一人にお礼を言ってたら膨大な作業になって途中でやめそうなので逃げられないように宣言。本当に感謝してますから。
福山の話書きたきゃお礼を書いてからにしな。それが人道ってもんだ。
・・・と思います。
日が変わったから上の文章は丁度○○年と一日に訂正して読んでな。
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